白内障術後眼内炎で医師の過失を認めた判決
I はじめに

東京地裁の白内障術後眼内炎に関する判決が最近出された。今まで、仲裁・和解例はあるが、調べる限り裁判例は初めてと思われるので紹介したい。(なお、双方控訴をしなかったため、この判決は確定している。)

 この判決は、術後眼内炎を起こすに至った医師側に対して、眼内炎発症(術前無菌法の不十分さと後嚢破裂後の処置の不手際)について過失を認め、また眼内炎の発見の遅れ並びに治療の遅れも認めた厳しい判決である。

1990年代の報告において白内障術後眼内炎の頻度は0.06〜0.2%であり1)、現在でもなお、500眼ないし1700眼に1眼の発症があるものと考えられる。1年間の白内障手術件数が膨大であることを考えれば、術後眼内炎の件数もかなりの数にのぼるものと思われる。

 多くの眼科専門医は、日夜、眼内炎防止の努力を行い、また眼内炎が発生すれば最大の努力を払って治療しているものと思うが、今後も眼内炎の発生を減少させるためと、眼内炎が発生したとしてそれを早く発見し迅速な治療を行ってゆくために、この判決がよい教訓になればと思う。

II 事実の概要

原告Xは手術当時74才の女性である。左眼術前視力は0.1(0.2)であった。被告Y病院において、平成8年11月14日木曜日、A医師執刀、B医師指導のもと、Xの左眼に対する白内障超音波水晶体乳化吸引術と眼内レンズ挿入術が行われた。A医師は白内障執刀約20例目でその内2例が破嚢例である。B医師はベテランの指導医である。手術時には、眼瞼皮膚はイソジン原液で、結膜嚢は8倍希釈のイソジンで消毒された。術中にはフルマリンの点滴が行われている。A医師は超音波チップで吸引中誤って水晶体後嚢を吸い込み、後嚢破裂・硝子体脱出が生じた。その後、B医師が術者を変わり前部硝子体の切除を行い、眼内レンズを嚢外固定にして手術を終了させた。手術時間は全体で1時間を要した。

 11月15日金曜日朝、11月16日土曜日朝の診察では角膜上皮浮腫はあるものの著変はなかった。左眼視力は0.2(0.4)であった。11月16日土曜日午後10時30分ごろ、Xは左眼に激痛を覚え看護婦に訴えたが、医師にこの事実は連絡されないまま、あらかじめの指示によるポンタールが投与されたのみであった。Xの証言によると朝まで眼痛が続き寝られなかったとのことである。翌11月17日、日曜日も眼痛が続いたが医師が来ることはなかった。

 11月18日月曜日午前8時30分ごろ、A・B医師の診察を受けたところ、Xの左眼には角膜上皮浮腫・前房蓄膿・毛様充血・フィブリン析出が認められ、眼内炎が生じていると診断された。左眼視力は指数弁であった。当日の予定手術の後、同日午後4時55分からB医師執刀で左眼の硝子体切除術・眼内レンズ摘出が行われた。11月23日に細菌検査の結果が出て、腸球菌が発見された。この日の左眼視力は手動弁であった。その後も、Xの左眼にフィブリン析出が見られ、前房内炎症が軽快しなかったので、11月28日B医師により再度の硝子体切除手術が行われた。しかし結局、平成9年2月26日の時点でXの左眼は失明したと認められた。

V 判決の内容

判決は眼内炎発生について医師の過失を認め、更に眼内炎の発見の遅れも 認め、Y病院側にXの失明に対する損害賠償の支払いを命じた。以下、その内容を述べる。

 1)術前無菌法の不十分さ:平成8年当時、術後眼内炎の起炎菌としてはCNS(コアグラーゼ陰性ブドウ球菌)やMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)等のブドウ球菌が多く、ついで緑膿菌であった。しかし、平成7年までの幾つかの論文を見ると、腸球菌による眼内炎も増加してきていることが認められ、更に本件手術後の論文では腸球菌による眼内炎発症の報告が相次いでいる。

 数多くの文献によれば、細菌性眼内炎の発生を防止するための術前無菌法として、術前にオフロキサシンの点眼ないしはオフロキサシン眼軟膏の眼瞼皮膚への塗布を2ないし3日間行うことが多くの病院で行われ、また眼感染症学会(平成5年時点)においても推奨されていたこと2)が認められる。オフロキサシンは抗菌スペクトルが広く、ブドウ球菌だけでなく、緑膿菌、腸球菌にも感受性がある。

 本件においては、術中フルマリンの点滴は行われていたが、フルマリンはブドウ球菌に感受性があるものの、緑膿菌、腸球菌には感受性がない。また、上記術前無菌法は行われていなかった。従って、A医師らは術後眼内炎防止のため、当時一般に行われていた医療水準の術前無菌法を取っておらず、腸球菌の滅菌を十分に行わなかったということができる。

 2)水晶体後嚢破裂の発生と眼内炎発生について:A医師は術中後嚢破裂を起こしたが、これはA医師が手術器具の操作、超音波乳化吸引の手技などに熟達していなかったことによるものといわざるを得ない。そして破嚢したことにより、手術時間が延び、本来不要な手術器具の眼内への侵入操作が増えるとともに、硝子体と外部とが直接接触するため硝子体への細菌感染の危険性が格段に増加することになった結果、Xは細菌性眼内炎に罹患したものと認めるのが相当である。A医師が後嚢破裂を起こした過失と、Xが眼内炎に罹患したこととの間には因果関係があると考えざるを得ない。

 Y病院側は、後嚢破裂は白内障手術において一定の割合で生じる合併症である旨主張するが、本件では超音波チップで水晶体後嚢を吸引するという施術中のミスで後嚢破裂が生じたものであるから、ある割合で生じるといっても、これをもってA医師に過失がなかったと言うことはできない。

 3)眼内炎発見の遅れ:Xは11月16日土曜日の夜から眼痛を訴え始め、翌17日、日曜日は一日中眼痛を口にしていたこと、11月18日月曜日午前8時30分ころに診察した時点で、Xの眼内炎は緊急に手術をすることが必要であると判断されていることなどに照らすと、11月18日月曜日の朝にはXの眼内炎はかなり悪化していたものと推認されるから、Xは遅くとも11月17日、日曜日までには眼内炎に罹患していたものと認めるのが相当である。

W 判決から学ぶこと

 白内障手術、後嚢破裂、眼内炎は多くの眼科医専門医にとって避けて通れないものである。以下のような教訓が読みとれると思う。

 1)術前消毒法:結膜嚢内の点眼などによる消毒と眼瞼の消毒が大事である(点滴だけでは不十分である)。具体的には、手術3日前よりオフロキサシン等の点眼、オフロキサシン眼軟膏等の上下眼瞼への塗布は有効と思われる。オフロキサシンは腸球菌に感受性がある。

 2)術中操作:眼内に菌を持ち込まないと言う立場で考えると、前房中への器具の出し入れの煩雑なほど、手術時間の長いほど、感染の危険は増加する。使用する器具はできるだけ数を減らし、できればディスポ製品を用いる。破嚢、前部硝子体切除術による頻雑な器具の出し入れが重なれば感染の危険は更に増大する。破嚢はできる限り避けたいものである。

 3)術後の観察:急性術後眼内炎は、術後1〜2日での発症が多い(1週間内の発症がほとんどである)ので、術直後から1週間ぐらいは毎日でも診察をするのが理想である。特に問題となるのは、木曜日・金曜日に手術をして眼内炎が土曜の午後から日曜日にかけて発症した場合である。眼内炎の最初の症状として重要な「眼痛」の訴えがあった時、速やかに眼科医が駆けつけ診察をする体制の構築が必要である。同時にこれは、看護職員に対する教育と医師との協力体制の問題である。

文献
1)古賀貴久・他:白内障手術後眼内炎の発生頻度と予防.眼科手術、11:175-178、1998
2)北野周作:白内障手術戦略のたてかたー白内障術前無菌法眼科手術、8:717ー719、1995