全身疾患から急激に両眼失明する事例の法律的問題
I 問題の所在

 大きな全身手術、脳外科手術、また特異な全身疾患から急激に両眼失明する事例がまれであるが存在する。他科の医師が治療中に突然失明するので、急に紹介された眼科医にとっては予期せぬ出来事ではある。しかし、眼科医としてはそうした事例が存在することをまず知っておくことが大事である。そして、そうした事例は失明を防ぐことがきわめて困難ではあるが、患者、並びに家族にとっては両眼失明は全身疾患から全く予期できない「青天の霹靂」であるから、眼科医の可能な限りの迅速な治療と、失明した場合の「十分な説明」が必要である。それが十分でないと「全く予期せぬ両眼失明」である以上、眼科医に全く責任が無いにもかかわらず訴訟になる可能性がある。3つの医事紛争になった例を紹介する。

II 解離性大動脈瘤手術後、両眼失明した事例

(1)事案の概要:患者は64歳男性。既往歴に高血圧、喘息。平成5年5月頃、喘息と背中の痛みを自覚。解離性大動脈瘤と診断される。6月12日、A病院心臓血管外科入院。胸部下行大動脈の解離性大動脈瘤(DAAVb)で、7月22日胸部下行大動脈人工血管置換手術を行う。術後3日間特に問題はなかった。7月26日午前、ICUから一般病棟へ移るが、患者は目が見えていないと訴え、瞳孔は散瞳していた。しかし、外科医師、看護婦はこれを無視した。その後病院側の視力への対応はなく数日が過ぎる。7月29日になり視力低下につき心臓血管外科から眼科への紹介状が出される。眼科の返事は、両眼中等度散瞳、対光反応無し、両眼とも光覚弁(−)。前眼部、中間透光体、眼底に器質的変化は無い。ERG(網膜電図)正常、VEP(視覚誘発電位)反応無し。視神経より後ろ特に後頭葉視中枢の変化を疑い脳外科検査を依頼する。脳外科の返事はCT、MRI、脳血流シンチ等で脳梗塞の所見無く、両側後頭葉の血流低下は認められないとのこと。9月28日頃、両側視神経が蒼白になってきた。

(2)両眼失明の原因:11月30日の患者さんへの説明では、「原因は視神経の虚血(後部虚血性視神経症ーposterior isChemiC optiC neuropathy:PION )と思われる、除外診断のため100%との証拠はないが、CT、MRIなど含め他の原因が考えられないこと、時期を遅れて視神経が蒼白になってきているのが唯一の証拠である」との内容である。急激に起こったことから視神経の虚血性疾患は疑われるが、両眼同時であるから視神経の部分で視交叉に極めて近い部分の後部虚血性視神経症が疑われる。高血圧症は虚血性視神経症の背景疾患になる。

 文献的には、後部虚血性視神経症による両眼失明例が、全身麻酔手術後(*a)、ガン転移による両側の首のリンパ節切開手術後(*b)、脊椎手術後(*C)、(*d)(第4文献は30例近い統計)、前部虚血性視神経症の例が冠状動脈バイパス手術後(*e)に存在する。背景因子としては人工心肺時間、高血圧、低血圧、低体温、血液希釈等が考えられる。

以上より、全身手術後両眼の後部虚血性視神経症が発生し失明に至る例は意外に多いことが分かる。しかし原因は必ずしも明らかではなく、予防が困難である。

(3)治療は適切であったか:事例ではキサンボン(循環改善薬、抗血小板薬)80mgを7/29〜8/4投与、ステロイド(リンデロン6mg7/31〜8/10,2mg8/11〜8/13)投与を行っている。眼科の説明では心臓血管手術の後であるので、血栓を溶かす強い薬(ウロキナーゼやワーファリンなど)は使えなかったとしている。

(4)考按:予期できない失明、しかも原因不明のものに出会った場合、眼科的、脳外科的検査を進めることはもちろんであるが、後部虚血性視神経症などを予期して、循環改善薬(手術によっては血栓溶解剤)、ステロイド等の投与を原因不明のままでも早めに行う必要があり、治療が遅れた場合法律的責任を問われる可能性はある(治療を早期に行っても失明を免れないことは多いのではあるが)。

V 脳動静脈奇形手術後、両眼失明した事例

(1)事案の概要:患者は63歳男性。動脈硬化、心筋梗塞の既往がある。平成12年5月18日頭痛が発現。5月20日B病院にて脳CTでくも膜下出血が発見される。脳外科で血管造影検査の結果、脳動静脈奇形(arterio-Venous malformation:AVM)と判明する。AVMの流入動脈は「眼動脈から分枝する前篩骨動脈」である。AVMの流出静脈は「眼静脈」であり珍しい症例である。眼静脈は海綿静脈洞に入る。5月26日硬膜動静脈奇形摘出術実施。事前に50%の確率で嗅覚を失うとの説明はあったが、眼球に関する説明はなかった。手術2時間後両眼光覚弁(−)、両側対光反射消失、左眼眼瞼下垂、左眼眼球運動全方向で消失、左眼結膜浮腫が出現した。眼底は両眼視神経乳頭の色調正常であった。5月27日脳血管造影でも、両側眼動脈は正常、術前のAVMは消失していた。6月12日両眼光覚(−)。両眼乳頭蒼白になる。6月14日左眼の外眼筋麻痺、眼瞼下垂に改善傾向が見られた。

(2)両眼失明、眼筋麻痺の原因は何か:眼瞼下垂、外眼筋麻痺は、AVMの流出静脈である左眼の眼静脈から海綿静脈洞に影響が及び海綿静脈洞症候群が生じたと考えられる。他方両眼失明については急激な両眼性視力障害があるが、前眼部、中間透光体、眼底に異常が無い。また、CT・MRIで脳に異常がない。また、術後の血管造影でも眼動脈に異常がない。そして、後に視神経は蒼白となり萎縮する。急激に起こったことから視神経の虚血性疾患は疑われるが、両眼同時であるから視神経の部分で視交叉に極めて近い部分の後部虚血性視神経症が疑われる。手術による流入動脈処理の影響は考えられるが、背景としては動脈硬化、心筋梗塞の既往、内頚動脈・眼動脈の狭窄等が考えられる。「脳外科手術後の両眼失明」の事例は文献的に検索できなかったが、眼球と視神経の血管系に近いところを操作する以上、前項で述べた「全身手術後の後部虚血性視神経症」と同じことが起こりえないではないと考える。

(3)治療は適切であったか:失明の事態が分かるとすぐ、5月26日時点で脳外科では1ステロイドパルス療法、2低分子デキストラン、3グリセオール、4ウロキナーゼの点滴をしているので、治療としては十分でこれ以上脳外科医に要求するのは無理である。

(4)考按:脳外科手術後の両眼失明は極めて希であるが、眼球に異常が無く、CT、MRI、脳血管造影でも異常がないのであれば、やはり後部虚血性視神経症等を疑い、眼科的・脳外科的検査の結果が出る前から、前掲治療をする必要がある。結果として失明を免れることは難しいが、できるだけの治療を可能な限り早期に行うことにより、法的責任を免れる可能性がある。そして、患者さんの納得のゆく説明を十分することで医事紛争も回避できるのではないか。

W アレルギー性肉芽腫性血管炎による両眼失明の事案

(1)アレルギー性肉芽腫性血管炎(allergiC granulomatous angitis;AGA)とは:1951年ChurgとStraussにより古典的結節性動脈周囲炎から分離独立された疾患で、気管支喘息、末梢血中好酸球数増加、血管炎症候群をtriasとする。

 血管炎症状としては多発単神経炎、消化管出血、皮膚の紫斑などの形で発症する。重篤な血管閉塞症状である脳梗塞や心筋梗塞を起こすこともある。

 眼症状は希ではあるが、細かいものも含めるとこの疾患の16%に眼症状を認めるとの報告がある。重篤なものとしては網膜中心動脈閉塞症(*f)、網膜中心静脈血栓症(*g)、前部虚血性視神経症(*h)、後部虚血性視神経症(*i)等の報告がある。

(2)事案の概要:患者は69歳、男性。平成12年7月初めころ、背中に発疹、両手の指に痺れ、38℃台の発熱、気管支喘息、好酸球増加を認めた。C病院の内科医は特発性好酸球増多症を疑い、ステロイド薬(プレドニン 30mg/day)の投与開始した。さらに左手、両下肢および顎の麻痺が出現したため、医師はステロイド薬を増量した(プレドニン60mg/day)。同年8月3日、患者は同病院を退院した。退院後左眼の視力が低下し始め、8月10日、左眼の視力が全く無くなった。8月17日には右眼の視力も低下してきた。8月18日C病院の紹介でD大学病院を紹介され、全身的には「アレルギー性肉芽腫性血管炎」であり、眼症状は「網膜中心動脈閉塞症」であると診断された。視力の回復のための高圧酸素療法を受けたが結局両眼失明に至った。

(3)治療は適切であったか:アレルギー性肉芽腫性血管炎は比較的予後はよい疾患とされ、ステロイドの反応性もよい。通常プレドニン1mg/kg/dayの投与をする。本件でも皮膚症状、発熱、痺れ等の症状に付きプレドニン60mg/dayまでの治療を継続している。これ自体としては妥当な治療と考える。

 問題は眼症状であるが、網膜中心動脈閉塞症の通常の治療は、発作後100分以内に1)前房穿刺、2)眼球マッサージ、3)高圧酸素療法、4)ダイアモックス内服、アスピリン内服等を行う。発作後3日以上経過した症例は視力回復は困難と考えられている。本事例は発症から数日経過しているから、これらの治療の効果は少ないと考えられるし、更にアレルギー性肉芽腫性血管炎による血管炎は血栓ではなく「肉芽種性血管炎」である。これは眼圧を下げてもマッサージをしても改善しにくいと思われる。

(4)考按:以上のように、この事案の「網膜中心動脈閉塞症」の治療は通常以上に困難であり、高圧酸素療法は行っているが、結果として両眼失明している。しかし、その時点で可能な治療はできるだけ行うとともに、途中経過で眼症状のあり得ること、失明することもあり得ることを説明する必要があり、それが不十分だと、医事紛争に発展することになる。

X まとめ

全身手術、脳外科手術、特異な全身疾患などで、突然両眼失明することがあり得ることが分かった。眼科医にとっては、他科から突然失明患者を送られて困惑することになる。しかし、その場でできる検査を進めながらも、病名を予測して可能な限り早めの治療を行っておかないと、患者並びに家族にとっては「全く予期せぬ失明」である以上、眼科医の方が法的責任を負わされかねない。そして、検査、治療を進めながら適切な病状の説明を行い、失明について治療が困難であることを語らないと医事紛争になるので、眼科医は注意が必要と思う。


文献
(*a)Rizzo JF、Lessell S:Posterior isChemiC optiC neuropathy during general surgeryAm J Ophthalmol 103;808−811、1987
(*b)SChobel GA、SChmidbauer M、Millesi W、et al: Posterior isChemiC optiC neuropathy following bilateral radiCal neCk disseCtionInt J Oral MaxillofaC Surg 24;283-287、1995
(*C)Alexandrakis G、Lam BL: Bilateral posterior isChemiC optiC neuropathy after spinal surgery
Am J Ophthalmol 127;354−355、1999
(*d)Myers MA、Hamilton SR、Bogosian AJ、et al: Visual loss as a CompliCation of spine surgeryA reView of 37 CasesSpine 22;1325-1329、1997
(*e)BusCh T、Sirbu H、AleksiC I、et al:Anterior isChemiC optiC neuropathy :A CompliCation after extraCorporal CirCulationAnn ThoraC CardioVasC Surg 4;354-358、1998
(*f)斉藤淳・吉田象二・中村和之:網膜中心動脈閉塞症を合併したallrgiC granulomatous angitis(A.G.A.)の1例。旭中央病院医報11:324ー326、1989
(*g)大久保恵美子・寺嶋里実・吉田洋子・他:アレルギー性肉芽腫性血管炎(Limited Form )の1例。 皮膚臨床 37(11);1753−1756、1995
(*h)Kattah JC、G.A.Chrousos GA、Katz PA、et al:Anterior isChemiC optiC neuropathy in Churg-Strauss syndromeNeurology 44;2200-2202,1994
(*i)CarmiChael J、Conron M、Beynon H、et al:Churg-Strauss syndrome presenting with Visual lossRheumatology 39;1433−1434、2000