産科を巡る問題は最近深刻である。産科志望者の激減、お産難民の発生、産科医の逮捕など、新聞を賑わしている。本稿では、まず「看護師による内診問題」を取り上げ、次いで福島県立大野病院での医師逮捕で問題になった「異状死の届出」の問題、更に「医療過誤を業務上過失致死で逮捕できるのか」についても論じたい。 なお、私は眼科医であるが「法律を学んだ医師としての視点」で、今の産科だけでなく、警察権力介入による医療全体の危機的状況を改善したく筆を執った。
平成18年11月27日、神奈川県、堀病院で看護師が無資格で「内診」を行ったことについて、計11人が「保健師助産師看護師法」違反で書類送検された。 1.事件を巡る今までの経緯 保健師助産師看護師法(以下「保助看法」と略す)第3条と第30条でで助産婦が独占的に「助産」ができる(医師は医師法で「助産」は可能)と明記してあり、産婦に対する内診は「助産」の業務の一環として取り扱われている。 一方、保助看法第5条並びに31条では看護師は医師の指示のもと「診療の保助行為」を行うことができるが、「診療の保助行為」の中に「内診」が含まれるとの解釈が以前から行われていて、慣習化していた事実がある。 特に日本産婦人科医会は1960年代から「産科看護研修学院」と言う講座を各地で開催して、看護師や准看護師らに研修を受けさせ「産科看護師」を認定し、産科医の診療保助として内診をさせてきた経緯がある。 ところが、厚生労働省が平成14年と平成16年の2度にわたり、「看護師による内診は違法」との見解を都道府県に通知したため、それまで公然と行われてきた「産科看護師」による内診が突然違法となった。これは産科医療現場の実情を無視して、官僚が机の上で杓子定規に法律を解釈した事による。 今回の事件は、神奈川県警が、年間3000件の出産数を誇る堀病院の厚労省の通知を無視して確信的に無資格助産(内診)を続けてきた点を「悪質」と判断し、書類送検に踏み切ったと考えることができる。 2.今後の解決策 今の段階では、厚労省の通知があるため「看護師による内診」は形式上は違法と言うことにはなる。 しかし、昭和20年代に比べて看護師は10倍以上増加しているが、助産師は5万5000人いたものが、平成15年には2万6000人と半減しており、助産師の絶対数が少ない。また、助産師は診療所にほとんどいず、大病院に偏在している。これでは、診療所でのお産ができなくなる。日本産婦人科医会も「看護師の内診が認められないなら産科医療は崩壊する」と言っている。 こうした事情があるため、無資格助産に対する刑事処分は真っ二つに分かれている。鹿児島県と愛知県の例では「違法だとの明確な認識が無く、健康被害の危険性も認められない」として、不起訴ないし起訴猶予になっている。一方千葉県では罰金50万円が確定している。横浜地検も、堀病院の事件の書類送検を受けて、堀院長の違法性に認識や無資格助産の危険性を慎重に検討した上で、立件の可否を最終判断する方針と思われる。平成19年2月1日に、横浜地検は堀院長や看護師を不起訴処分(起訴猶予)とする方針を固めた。起訴して刑事責任を問えば、産科医や助産師の不足が深刻な、お産の現場に与える影響が大きいことを考慮したと思われる。しかし、「看護師の内診が違法」が崩れたわけではない。 厚労省の「医療安全の確保に向けた保健師助産師看護師法等のあり方に関する検討会」のまとめ(平成17年11月24日)では、産科における看護師等の業務に付き、見直し論と反対論の併記があった。 見直し論では、診療所における助産師の不足も考えたうえで、法律の解釈は時代背景をふまえるべきであるが、現行の法体系ではできないのであれば、保助看法の考え方を変えるべきである。例えば産科のエキスパート(内診のできる看護師)など、新しい制度を考えるべきである、とする。 他方、反対論では、内診は看護師の行い得ないものであり、十分な教育を受けた助産師を養成するべきであり、助産師教育を充実させ、国が政策的に診療所の助産師を増やすことを積極的に行うべきである、とする。 今後の、厚労省の政策が問われる問題であるが、診療所のお産が困難になっている現在、早急に解決してもらいたい点である。
1.問題の所在 この条文に関しては様々な意見があり、最高裁判決も出ている。福島県立大野病院事件での逮捕理由にもなっている。 医師法21条は「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定め、50万円以下の罰金との罰則もある(医師法33条の2)。 都立広尾病院事件や福島県立大野病院の事件で大きな問題となったが、医療関連死を医療過誤の有無を問わず届けるべきかが問題となっている。 福島県立大野病院の事件は、平成16年12月17日に、前置胎盤のため帝王切開により出産した29歳の妊婦が、胎盤が子宮に癒着していたので、執刀医は剥離を試みたところ、大量出血をおこし子宮摘出を行ったが、結局母胎死亡に至った事案である。警察は平成17年4月から捜査を始め、9月頃事情聴取を終わったが、平成18年2月18日になって執刀医のK医師を逮捕、勾留した。K医師は、3月10日業務上過失致死と医師法違反(異状死体の届け出をしなかったこと)で起訴され、現在福島地方裁判所で審理中である。この事案は、医師の過失もない「医療事故」の可能性もある。 2.様々な見解と最高裁判決 平成6年5月に出された、日本法医学会「異状死ガイドライン」によると「病気になり診療を受けつつ、診断されているその病気で死亡することが『ふつうの死』であり、これ以外は異状死と考えられる」とする。従って「あらゆる診療行為中、または診療行為の比較的直後における予期しない死亡。診療行為自体が関与している可能性のある死亡。診療行為中または比較的直後の急死で、死因が不明な場合。等は診療行為の過誤や過失の有無を問わずに、届けるべきである」とする、非常に広い見解を取る。 これに対して、日本外科学会の見解は、「外科手術の本質を考慮すれば、説明が十分なされた上で同意を得て行われた外科手術の結果として、予期された合併症に伴う患者死亡が発生した場合」医師法21条の言う「異状死体」と考えることはできない。「何らかの重大な医療過誤の存在が強く疑われ、また医療過誤の存在が明らかであり、それらが患者死亡の原因となったと考えられる場合」に限って「異状死体」の届け出をするのが妥当である、との見解である。これが狭い方の解釈である。 しかし、ここで問題は、「異状死体」の届け出が、憲法38条1項「何人も、自分に不利益な供述を強要されない」に違反しないかの点である。 最高裁は、この点について都立広尾病院の事件判決(平成16年4月13日判決)で、死体を検案して異状を認めた医師は、その死体が自分の診療していた患者で、自分がその死因等にについて診療行為における業務上過失致死などの罪責に問われるかもしれない場合にも、医師法21条の届け出義務を負い、それは憲法38条1項に違反しない旨判示した。 最高裁は、道路交通法の交通事故の報告義務(道交法72条1項後段)と同様に解釈し、届け出義務は犯罪捜査の端緒を得るなど公益上の必要性の高い行政手続き上の義務であり、他方これにより、届出人と死体との関わりなど犯罪行為を構成する事項の供述まで強制されるものではないとした。しかし、最高裁は届け出範囲(「異状死」の定義)まで明確にはしていない。 判決後、平成16年4月、日本内科学会、日本外科学会、日本病理学会、日本法医学会は共同声明を発表し、「過誤の明らかでない医療関連死の届け出と解剖等による死因究明をする第三者機関(警察機関に委ねるのではなく)の設立を」と主張した。これを受けて厚生労働省は、中立的な第三者機関が医療関連死の解剖・評価を行うモデル事業を平成17年秋から行っているが、実施は東京や愛知など6都府県と札幌市にとどまっている。 また、平成18年12月19日、日本外科学会は、平成19年4月から、医療事故で患者が死亡した場合、死因などを究明する評価機関を、全国8ブロックに分けて設置すると発表した。 3.当面医師は異状死体を届ける範囲をどう考えたらよいか 当面「何らかの重大な医療過誤の存在が強く疑われ、また何らかの医療過誤の存在が明らかであり、それらが患者死亡の原因となった場合」のみ所轄警察署に届けることとし、厚労省、各学会の出方を待つことが妥当と思われる。これが現在、医療現場での主流の考え方である。いずれにしても「医療関連死」に直面した個々の医師の判断でなく、病院全体での判断をしてゆく必要があると思われる。医療関連死に関しては、警察に届けることが重要なのではなく、事故の原因究明、再発防止など患者さんと家族の立場に立った解決の方が重視されるべきと考える。
1.逮捕の妥当性について 福島県立大野病院事件の概要は前項で述べたとおりである。この事件で、執刀医のK医師が逮捕された。逮捕は、よほどの重大事件か、逃亡証拠隠滅の恐れがある場合に限られる。本件では、1年以上前に既に家宅捜索もされ、証拠隠滅の恐れが無く、病院の産科一人医長で継続診療中であったK医師に逃亡の恐れなど全く考えられない。任意で事情聴取すれば十分で、突然の逮捕には合理的説明が不可能である。 K医師は県立病院の一人医長として昼夜の区別無く全ての分娩を一人で対応してきた。それが、個人の逮捕と言うことで、一瞬で地域の産科医が消失する事態に陥った。全く不当な人権を無視した逮捕といえる。 一般論としても、重大な過失のある事件で、逃亡証拠隠滅のある場合を除き、医療事故で逮捕はあってはならないと考える。 2.医療過誤を業務上過失致死で刑事罰を与えるのが妥当なのか 本事件の場合からまず考える。帝王切開自体に関しては全く手術ミスはないと考える。癒着胎盤という全分娩の0.01〜0.04%という希有な疾患に伴う希有な合併症であり、過失はないと考える。当然業務上過失致死罪は成立しない。従って今回の事件は、医師個人の問題ではなく、現在の地方辺地医療が抱えている医師不足や、輸血血液の確保難を背景とした医療政策、医療マネージメントの問題と考えられ、刑事事件として個人の責任に帰することは筋違いと考える。 一般論としてはどうか考えてみる。米国では医療事故が刑事事件になることは極めて希である。病院での不審な死については具体的な届け出の基準があり、専門職が解剖の適否を判断する。解剖して初めて医療過誤が発覚した場合でも検察側に連絡する義務はない。解剖結果は閲覧が可能で、民事訴訟に使うこともできる。ただ、米国では医師の行政処分は厳しく、日本の33倍ほど免許取り消しが行われている。 ドイツの場合、医師・弁護士等、高度な専門性と倫理性が必要な職業には職業裁判所が設けられ、それぞれの専門家が審理に当たる。刑事事件の告訴もできるが、1%ほどが公訴されるにとどまっている。 日本では、「医療事故だけを業務上過失致死罪から除外する理由はない」とする法曹界の立場から刑事訴追は行われている。ヒューマンエラーを刑事罰で撲滅する思想は日本特有なものである。国民受けを狙った警察・検察権力の示威行為のような気がしてならない。ヒューマンエラーを引き起こすシステムの検証(医療事故の原因究明と再発防止)に対しても刑事罰は有害無益であり、正確に当事者に証言させるにも刑事罰が壁になる(証言させる代わりに免責させるのが有効)。刑事訴追は医療従事者を萎縮させるのみである。 高度な専門知識の必要とされる刑事立件に於ける事実認定を、特段の教育・訓練・経験のない一般の警察官・検察官に任せたのでは、適切な公訴が行われることはほとんど期待できない。職業裁判所やADR(裁判外紛争解決手続きーこれも医師、弁護士、市民代表等が関与する)また、異状死体の届け出で述べた専門家のいる第3者機関(法医学、病理、臨床の3者が解剖と検証、評価を行うモデル事業等)による判定や関与が妥当であると考える。それは、事実認定の段階で高度な専門知識が必要とされるからである。 刑事罰が謙抑的であるべきことは当然として、あまりに明白な医療過誤や、医療の名に値しない隠れた犯罪以外は、刑事処罰の対象としないシステムが必要である。そうでないと、事故の原因究明もできず、防衛医療(責任逃れの為の不必要な検査等)、萎縮医療(必要であってもリスクのある医療行為が行われなくなる)につながってしまうからである。例えば、産科領域では、周産期医療の崩壊、国民は分娩する場所を失い、少子化に拍車をかけることになるであろう。 被害者救済の目的では、刑事罰は役に立たないので、出産時の脳性麻痺で導入されることになっている無過失責任制度を全科に広げてゆくのが有効であると考える。